国歌の豆知識

国歌の豆知識

国の定める現行版「国歌・君が代」に2番はありませんが、昔の「君が代」は以下の歌詞でした。

1 君が代は ちよにやちよに さざれいしの
  巌となりて こけのむすまで
  うごきなく 常磐かきはに かぎりもあらじ

2 君が代は 千尋の底の さざれいしの
  鵜のゐる磯と あらはるゝまで
  かぎりなき みよの栄を ほぎたてまつる

この歌詞は、明治時代の教科書にも掲載されていました。
曲調も今のものとは一線を画していたようです。
今の曲調にあわせて1番2番の前の部分だけを歌っていた人たちもいたそうです。
また、2番の歌詞はこのほかにもいろいろな説があるようです。

国歌の由来と歴史

「君が代」は,延喜5年(905年)に編纂された「古今和歌集」(賀の巻)に、「わが君はちよにやちよにさざれ石の巌となりて苔のむすまで」(詠み人知らず)として収載されていた。
これが文献に現れる最初であると言われている。
この歌は約100年後(11世紀初期)に成立した藤原公任撰の「和漢朗詠集」(祝の部)にも収められている。

その後、平安末期頃から,初句を「君が代は」という形で流布するようになり(※)、めでたい場合の舞い、謡曲などに取り入れられ、長い間民衆の幅広い支持を受けてきたと言われている。

明治時代になり、日本にも国歌が必要と考えた鹿児島(薩摩)藩の大山巌らは、その歌詞として「君が代」の古歌を選定したと言われている。
当初の「君が代」(フェントン作曲)は、その後、曲の改訂が上申され、明治13年(1880年)に宮内省雅楽課の林広守らによって現行の「君が代」の楽譜が完成されました。

その後、明治26年(1893年)の文部省告示「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」において、祝日大祭日の儀式で歌うこととされた。

(※)
鎌倉時代の歌人顕昭(1209年頃没)の古今和歌集の注釈書である「古今集註」に、「この歌つねには、きみがよはちよにやちよにといへり」とある。
また、鎌倉時代の歌人慈円(1225年没)が古今和歌集の歌を題として詠んだ際にも「君が代はちよにやち世にさざれ石のいはほと成りて苔のむすまで」とある。
この歌が広く謡曲などに取り入れられていることについては、柿村重松著「和漢朗詠集考証」などを参照。

延喜 5年( 905年) 古今和歌集に初見
11世紀初期       和漢朗詠集に収載される
明治 2年(1869年) 鹿児島(薩摩)藩の大山巌らが「君が代」の古歌を選定し,
                フェントン(イギリス公使館の軍楽長)に作曲させる
明治13年(1880年) 宮内省雅楽課の林広守らによって
                現行の「君が代」の楽譜が完成され,
                天長節にあたって宮中で演奏される
明治26年(1893年) 文部省告示「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」に示された
明治26年(1893年) 小学校令施行規則で,
                紀元節,天長節,1月1日に職員,児童は式を行い,
                「君が代」を歌うことを定める。
                なお,同規則は昭和16年に国民学校令施行規則となる
昭和21年(1946年) 国民学校令施行規則改正
               (紀元節等の式で「君が代」を合唱すべきとする箇所を削除)
昭和21年(1946年) 国民の祝日には学校で国歌を斉唱することを勧奨
               (天野文相談話)
昭和33年(1958年) 学習指導要領改訂
(学習指導要領は,「学習指導要領における国旗,国歌の取扱いの経緯」を参照)
文部科学省ホームページより引用